マテリアル・ポルカ
あらすじ
親友とともに憧れの女学院へ入学したアリス。入学式では妖精のように美しい生徒会長が挨拶を述べ、新入生を歓迎してくれる。期待に胸を膨らました直後、校則違反者の公開処刑が行われ、「スカートの丈は膝下3センチ」を破った女生徒が射殺された。女学院は生徒会長・武藤沙羅の独裁国家であり、彼女の描く「美しき乙女」に背く行動を取れば否応なく処刑される牢獄だった。
アリスはすぐに問題を起こし、「親友と命をかけて戦う」という処罰になる。親友を傷つけることなんてできない! と沙羅に敵意をむき出していたアリスだったが、親友に先制攻撃をされたことで意識が切り替わる。友情が切れたのだ。
もう目の前にいるのは「親友」ではない。アリスは命を守るための武器を手に取り、かつての親友を切り裂いた。
アリスの手には重々しいチェーンソーが握られている。「いばら姫」と呼ばれる猟奇的な武器を手に入れた少女は生きて学院を出るために、生徒会長・武藤沙羅を生徒会選挙で負かし、学院を改革することを決意する。
「校則違反者は死刑」
「絶対友情守護者」
「鬼(オトメ)」
「プリンセス」
閉ざされた学院では、少女たちが校内戦争や殺戮に血を流している。
血の変わりに飛び散るのはお菓子の雨だ。
女の子しか出て来ない、血と友情のマッドメルヘン(そんなジャンルがあったのか)。
まだまだストーリーや世界観が明らかにされていないため、内容については詳しく語れませんが、私は狂気的な展開と可愛い女の子のために読んでいます。昨年に続けて大プッシュしている作品です。完走してほしいですが、知名度が低過ぎる!
わたしは咲子ちゃんがおきにいりです。
セント・エルモス・ファイアー
あらすじ
学生気分の抜けない、アメリカの仲良しグループ7人。それぞれ違う進路に進みつつ、学生時代にたむろしていたバーに集まってはばか騒ぎしてなれ合う。しかし次第に、身を浸し始めた社会の現実と厳しさに気付き始める。もう学生ではないのだ。7人はそれぞれの形で自分と向き合い、学生時代の確執や恋と戦っていく群像劇。
おきにいりのシーン
☆憧れの女性を諦めきれず、過激なストーカーと化すカーボ。
☆レスリー「つい、なんてないのよ」
感想
「つい、なんてないのよ」
レスリーと言い争いをしていたケヴィンが思わず、「(7人グループと)友達とおもったことなんていな」と口走り、すぐに「ごめん、つい」と謝ったことに対してのセリフだ。
私はレスリーの放ったセリフに胸を打たれた。
心の中で思ったこともまた、真実である。罪である。
大人になってしまった現実を受け入れるための儀式のように、全員が激しいアクションを起こし、会社や恋人、友人を失う。「若気の至り」をとても伝わりやすく、印象的に描いていた。
大学生活4年間の関係が短い間に壊れ、再建し、ラストシーンは全員が落ち着いた大人の雰囲気を漂わせていた。
私はまだ学生であるためか、「いまのうちに色々やって、失敗しておこう」と無計画に行動している。それが自分のためだと思っているが、周りからはどう思われているか知れない。この作品を鑑賞して、「自分と向き合う」ことがいかに難しく、破壊的で、素晴らしいことかを教えてもらったような気がする。
キツツキと雨
あらすじ
妻の死後、仕事も家事を一手に引き受けマメに取り組む堅気な親父・克彦は、一人息子でプーの穀潰し・浩一にやきもきしていた。昼まで寝ぼけている息子に「こん役立たずがあ!」とケンカする毎日だ。そんなある日、二人の暮らす田舎に映画の撮影陣がやってきた。ガス欠で困っていた彼らを助けたのをきっかけに、克彦はうだつの上がらない若者・幸一に出会う。映画関係者の幸一と知り合った夜、息子の浩一が家を飛び出してしまった。息子と入れ替わりに、幸一が克彦の家を訪ねる……
おきにいりのシーン
☆克彦と息子のケンカ。
☆克彦「10人ジャブジャブ」
☆克彦と幸一が車内で映画について話す。
☆幸一、監督イスをもらう。
☆克彦と幸一のシーンはぜんぶ好き。
広大な田舎をバックにちょこんと体育座りするふたりはとってもかわいいです。
感想など ネタバレあり
あらすじにも書いた通り、この作品にはふたりのコウイチが登場し、入れ替わりで克彦のまえに現れる。穀潰しの浩一には「早く一人前になれ」と吠えていた克彦だが、映画監督の仕事で思い悩む幸一と接しているうちに、息子へ出来る一番の助力を見出す。息子の浩一はほとんど登場しないが、浩一と幸一は表裏一体として描かれている。少なくとも、克彦の中ではそうなっているだろうと思う。
克彦は巻き込まれる形で映画撮影に協力するはめになったが、彼自身はそう大きな助力をした気はしていないはずだ。幸一が困っていたから、自分の出来ることをやっただけ。それだけだ。
この映画の特徴に等価交換の不成立があげられる。「ほぼ一方的に恩恵を受けられる関係性」を築けるものは、親子関係以外思い当たらない。克彦と幸一は作品中で親子に似た関係を作り上げる。克彦が目に見えて得た物はないが、コウイチというふたりの息子に出会えたことこそ、彼が受けた恩恵になるのだろう。
本当の親子では築けない関係もある。幸一に見せた克彦の優しさは、浩一には向けられないものに違いない。親子は無愛想になってしまいがちだと思う。
監督が「南極料理人」で一躍有名になられた沖田さんであることもあり、食事のシーンがいいと評判だ。私も気に入っている。bgmなしに黙々と食べ、ときおり喋る様子を三人称の視点固定で映す。私はこの撮り方が好きで、作中の彼らがより身近に感じられる。テレビの枠が窓枠に成り代わり、遠くない距離で彼らが動いているのをふと眺めているような気分になる。 視点固定はこの作品で多用されている。
食事シーンで気に入っているのは克彦と幸一の最後の夕食だ。向かい合って、幸一が映画監督の道を歩み始めた発端を語ったり、ふたりであん蜜を食べる。「甘いもの」は作中で重要アイテムだ。幸一の口にあん蜜をねじ込むという克彦の強行にはヒヤヒヤさせられた。
このシーンで幸一が山形出身だと知り、同郷の私はテンションが上がったのだが、なぜ「地方から上京してきた若者」の設定には山形出身者が多いのだろう? この間観た「小さいおうち」や、「芙蓉千里」という小説も、田舎っぺは山形県人だ。